陸上競技の素晴らしさ
「世界記録」
それは人類の限界を探究する上で最も分かりやすい指標!
偉大な記録がほんの僅かずつでも更新されていくことが、人類の可能性の果てがまだ見えぬ証拠!
特に陸上競技は体一つ、あるいは最小限の道具のみを使い、身体能力そのものを競い合う!
屈強なアスリート達が、100分の1秒、あるいは1センチを更新するために生活の全てを捧げる姿はあまりにも美しい!
そんな中、奇跡としか言いようのない驚愕の記録が時おり刻まれる!
陸上競技列伝では、人間を超えたと形容してもしかるべき「超天才」達の記録を紹介し、 人類の秘める潜在的なパワーを感じ取っていただく !
驚異の世界記録
| ◆男子◆ |
| 200m | マイケル・ジョンソン(米国) | 19秒32 |
1996年、全米オリンピックトライアル男子200mでマイケル・ジョンソンは、17年ぶりの世界記録更新となる19秒66をマークした。しかし、これは彼が起こした奇跡の序章にすぎなかった。
同年8月1日のアトランタ五輪決勝、コーナーを抜けて直線に入ったところで「生涯最高のスピード」で走っていることを自覚したジョンソンは、自らの記録を一気に0秒34更新する19秒32をたたき出して優勝。後半の100mを9秒20で駆け抜けた超人的な記録は、短距離の常識を覆す更新幅をマークした。このレース、ぐんぐん前を行くジョンソンが結果的にペースメーカーのようになり、2位のフランク・フレデリクス(ナミビア)も自己ベストを大幅に更新する19秒68で走っている。
現在でも、200mは20秒を切れば世界トップクラス。19秒32を破る人間は、果たしていつ現れるのだろうか。
また、ジョンソンは400mでもアトランタ、シドニー五輪を連覇。1999年にマークした43秒18の世界記録を現在も保持している。瞬発力型の200mと持久力型の400mを両立するのは不可能というのが陸上界の定説であったが、ジョンソンはそれを見事にやってのけた。このこともまた、彼が超人であることの大きな証しだといえよう。
| 棒高跳び | セルゲイ・ブブカ(ウクライナ) | 6m14 |
セルゲイ・ブブカは世界記録を35回(屋外・室内合計)更新した「鳥人」である。1985年に史上初の6mジャンパーとなると、最終的には1994年7月31日に樹立した6m14まで記録を伸ばした(室内最高は6m15)。ブブカに続く記録は、2001年にドミトリー・マルコフ(豪州)がマークした6m05だから、いかにブブカが断トツであるかが分かる。
ブブカが練習では6m20以上を跳んでいたという噂の真偽のほどは分からない。しかし、100mで10秒2、走幅跳びで8m20を記録しており、人類史上最高の身体能力の持ち主であったことは間違いない。
| 走幅跳び | マイク・パウエル(米国) | 8m95 |
走幅跳びの歴史を紐解くとき、まずはボブ・ビーモン(米国)の名を挙げなくてはならない。1968年のメキシコシティ五輪は、海抜2240mの地で行われたため、酸素が薄く、長距離系種目などの選手は苦しめられたが、短距離や跳躍の種目では、気圧の低さゆえに好記録が連発した。三段跳びでは3人の選手が計5度の世界記録更新を果たしたが、それ以上に話題をさらったのが、ほかならぬビーモンだった。
ビーモンは、高地に加えて追い風が公認上限ぎりぎりの2m/sという最高の条件の中、それまでの世界記録をなんと55センチ更新する8m90を跳んだ。これは1回目の試技で、そのあと雨が降り始めてコンディションが悪くなり、他の選手にもビーモン自身にも、好条件は2度と訪れてくれなかった。まさに神がくれた千載一遇のチャンスを生かしたビーモンの記録は、「永遠に破られない記録」とまで言われた。
1980年代に入り、カール・ルイス(米国)が現れ、 公式戦65連勝など無敵の強さを見せたが、8m90の壁は厚かった。しかし、1991年8月30日、東京世界陸上にて、ついに23年ぶりの世界新記録が誕生した。
まず、ルイスが4回目の試技で、追い風参考記録の8m91をマークした。これだけでも場内は大きくどよめいたが、それを上回ったのが、常にルイスを目標にし、追随し続けていたマイク・パウエル(米国)だった。パウエルは5回目の試技で、正真正銘の公認記録で8m95を跳び、ルイスの連勝を止めた。
「永遠の記録」は、永遠ではなかった。どんなに時間がかかっても、記録はいつか破られるのだということを、走幅跳びの歴史が示してくれているようだ。パウエルの記録は長年破られていないが、1995年、イバン・ペドロソ(キューバ)が8m96を跳びながら、風の計測に疑問があるとして幻の記録となってしまったという経緯もあり、きっと世界のどこかから、再び世界記録を打ち立てる超人がいつか出現するだろう。
| ◆女子◆ |
| 棒高跳び | エレーナ・イシンバエワ(ロシア) | 5m01 |
2003年7月14日に4m82の跳躍を成功し、21歳にして世界記録保持者となったエレーナ・イシンバエワ(ロシア)は、屋外で11回、室内で8回世界記録を更新しており、今後もどんどん更新していくと思われる選手。2005年8月12日にヘルシンキ世界陸上で史上初の5mジャンパーとなった5m01が現在の世界記録である。これは日本記録と比べると65センチ上を行く記録であり、日本選手にとってはまさに雲の上の存在である。
| マラソン | ポーラ・ラドクリフ(英国) | 2時間15分25秒 |
高橋尚子はシドニー五輪で金メダルを獲得した翌年の2001年9月、ベルリンマラソンで、世界で初めて2時間20分を切る2時間19分46秒の世界新記録をマークした。ところがその1週間後のシカゴマラソンで、キャサリン・ヌデレバ(ケニア)が2時間18分47秒をたたき出し、世界中を驚かせた。しかし、世界新ラッシュの主役に躍り出たのは、この2人のどちらでもなく、彗星の如く現れたポーラ・ラドクリフ(英国)だった。
それまで主に1万mを専門としていたラドクリフは、初マラソンとなった2002年4月のロンドンマラソンで
、いきなり世界歴代2位の2時間18分56秒で優勝。同年10月13日のシカゴマラソンでは、ヌデレバの記録を1分29秒更新する2時間17分18秒の世界新記録を樹立した。そして、2003年4月13日のロンドンマラソン、ラドクリフは自身の記録をさらに1分53秒更新して2時間15分25秒という神がかり的な記録を打ち立てた。
2時間20分の壁が初めて破られてから1年半ほどで、女子マラソンは一気に2時間15分台の世界に突入したのである。
この記録に対しては、世界中のマラソン関係者が開いた口がふさがらない状態となり、高橋尚子も、もう少し目標にできそうなタイムならやってやろうという気持ちになったかもしれないが、15分台となると、おめでとうとしか言いようがない、というようなニュアンスで爽やかにコメントを残していた。
ラドクリフは、野口みずきが優勝した2004年のアテネ五輪では途中棄権という屈辱を味わったが、翌年のロンドンマラソンでは途中で
腹痛のアクシデントに見舞われながらも、2位に5分以上の差をつけて優勝。同年8月のヘルシンキ世界陸上でも大会新記録で優勝し、世界大会で念願の初タイトルを獲得した。
出産後の初レースとなった2007年11月のニューヨークシティマラソンでも、 2時間23分台ながら見事な復活優勝を果たすなど、記録だけでなく、マラソン選手にとって不可欠な安定感においても突出した選手であることを示してくれている。
